2-1終の棲家をもとめて

オルケアが八ヶ岳に根を下ろし、地域に密着した工務店としてスタートを切ってから21年。私が東京から八ヶ岳に移住して建築の仕事を始めてから30年以上の月日が経った。その間に大きな災害や気候の変動、疫病や戦争など、世の中は目まぐるしく変化し、人の暮らしや価値観も大きく変わった。しかし私が移住を決意した想いとオルケア設立の時から掲げてきた理念は今も変わりはない。

私の移住の動機はルソーの『自然に帰れ』が根底にある。どの国であろうと経済競争の中で生き抜くには仕事の効率化を図り生産性を高める必要がある。そして手仕事は機械化され、暮らしは都市化される。その目的は人々の暮らしを楽に、ゆとりある人生のためであったはずだ。ところが良かれと思った機械化は人から仕事を奪い、都市化は人々の暮らしから自然を奪う。一旦そうなると、その動きはとどまることなく、やがて『他と分け合う』心を忘れ『今だけ自分だけ』の考えに変わっていく。

『これで良いのだろうか?』という私の心の中の小さな声は、少しずつ大きな疑問になり、抑えきれない衝動に駆られた。『限りある自分の人生で大切なことを後回しにしてはいないだろうか?』『厳しくも美しい自然の中に身を置き、大切な人と大切な時間を共有したい』この原点に戻るため、学生時代に夏のアルバイトで縁のあった八ヶ岳に移住を決めた。きっと同じような想いの人が続いて来るだろうとの期待をもちつつ。

オルケア設立の理念はその社名「オルケア(ALL CARE)」に全てを込めた。簡潔に言えば、私と同じように八ヶ岳に家を建てて住まう方の「あらゆる」要望に応えようという覚悟である。「あらゆる」とは、建築そのものだけでなく、加齢とともに変わりゆく暮らしの「すべて」をサポートするのだという覚悟である。

「暮らしのすべて」には非常に多くの事が含まれるので、文字通りに「すべて」をサポートするとしたら大企業でも難しい。ましてや地域の一工務店のオルケアが限られた資源で理念を具現化することは無謀なチャレンジであり、毎日が試行錯誤の連続である。一例をあげてみよう。

10年ほど前、山梨県に記録的な大雪が降ったがオルケアには除雪車がなかった。雪に閉ざされ暖房用の灯油も切れかかった地元の方がいた。オルケアの顧客に関係なく、我々は会社のジープで雪道に体当たりしながら道を作り灯油を届けた。翌年、ようやく中古の除雪車を購入したが、以降、除雪車の出番はほとんどなく、大きな図体の車は会社の敷地に駐車したままである。/p>

ことほど左様に「すべて」をタイムリーに対応することは出来ない。だが「すべて」に応えようとする運動体としての企業になる覚悟で我々は働いている。たとえ計画的且つ網羅的な事業展開ができなくとも、『それが地元工務店の使命だ』との思いで、現在までに200棟以上の住宅を建築してきた。

その結果、私たちの事務所には、毎日たくさんのお施主様が立ち寄られ、日々電話でもいろいろなご相談を頂いている。最近ではむしろお客様から新たな八ヶ岳情報を教えて頂くことも多い。こうした八ヶ岳での暮らしを通して出来上がった関係性は、建築実績よりも誇らしいオルケアの財産である。

2-2理想の工務店を求めて

さて、八ヶ岳という環境を終の棲家と決めた私だが、どのような家を建てるか、いよいよ私にとっての理想の家づくりという難題が目の前に迫ってきた。まずは地元の名棟梁の家を訪ね『家族が幸せになる家はどう作ったらよいのでしょうか?』と教えを乞うた。少し間をおいて棟梁は二つの答えを下さった。

一つ目は『立派な家はだれでも出来るが素敵な家はなかなか出来ない』だった。

禅問答のようで考えれば考えるほど深く、自分で答えを探さざるを得ない。

二つ目の答えはとてもシンプルだった。一言、『あったけぇ家』

『あったけぇ家』これはその後、オルケアの家づくりのキーワードになった。役員の伊藤が創業以来『断熱と気密及び効率の良い暖房熱源』について昼夜を問わず研究してくれて、その成果がお客様の感想として如実に表れている。終わりのない研究がこれからも続くが、断熱と気密に関しては地域をリードしていく企業としての自負心も生まれた。

しかし、棟梁のもう一つの答えである『素敵な家』については、今日に至るまで20年以上答えを求め続けていると言っても過言ではない。主観的な『素敵』をどうしたら近隣の方たちを含んで共有出来るのだろうか?

オルケアのデザイナーである阿部一級建築士は20代でイタリアのペルージャに移住して地元の建築事務所でそのことだけを考えて仕事をしてきた。ボスが『美しい!』と言わない限り作り直しの作業が続く。遠くから我が家が見え始めた段階から『どのように見えるのか?』その作業に明け暮れたという。阿部はリタイア後に八ヶ岳が気に入り移住したことで私が知己を得て、オルケアの家づくりの中で『素敵な』を求め続ける責任者となっている。

『あったけぇ』と『素敵』を求めながら、その後方で裏付けとなる構造・防水・法令・厳しい施工上の品質管理については創業以来、その部分に特化したサトーテクニカルデザイン社の佐藤所長に教育指導を仰ぎオルケアとしての技術レベルを確立させることが出来た。

だが、夢中になって高品質を求めた20年が過ぎて、ふと気が付くと大きな壁にぶつかっていた。『世代交代』という大きな壁だ。

幸いオルケア設立時の理念はスタッフの心にしみこんでいる。構造・法令・防水・品質管理も優秀な40代の2人の現場監督が厳しい目を光らせている。どれもこれも終わりのない研鑽がこれからも続くが若い世代に受け継がれている。しかし『素敵』をデザインする才能は個人に属する部分が多く、育てる事が出来ていない。

オルケアでは『何々風の家』といったものがなく、あくまで自由設計である。顧客の要望を丁寧に聞き取りながら八ヶ岳の自然景観に溶け込み、近隣からも喜ばれるデザインをゼロから生み出す能力が阿部にあるからこそ安心していたが、彼も70代後半になっている。新たな建築家を探し出すことが喫緊の課題となっていた。しかも八ヶ岳の植生や気候風土をこよなく愛し美しい木造建築と環境整備にコミットできる建築家を探さなければならない。

2-3めぐりあわせ

きっかけは、あるクライアントの要望だった。ずっと憧れていた建築家がいるという話だった。八ヶ岳で、施工はオルケアに、設計・デザインをその建築家にお願いしたいが、気後れしてまだコンタクトができていないとのことだった。伊藤がその建築家に連絡してみると面談を快諾してくれた。彦根明氏という建築家で、私も名前はよく知っている方だった。

急に冷えだした秋口のある日、事務所に現れた彦根氏にクライアントは大変喜んだ。彦根氏の書籍で建築を研究し、理想の家を思い描いてきたそうである。打ち合わせの前に、伊藤がクライアントと彦根氏を八ヶ岳高原ロッジの分譲地へ案内することになった。

その日、見学を終えた一行は、遅くまで打ち合わせを重ねていた。クライアントは、これまで引き出しにしまっておいた「とっておきのアイデアを」一つずつ、彦根氏に紹介したようだ。彦根氏もまたそれを一つずつ丁寧に吟味・評価しているように見えた。打ち合わせを終えて会議室から出てきた伊藤だが、何か手応えを感じたようだった。

早々に設計の契約が決まり、東京、八ヶ岳、あるいはオンラインで打ち合わせが続いた。彦根氏がいつも深く頷きながら、熱心にメモを取る姿が印象的だったと伊藤はいう。ある日、伊藤がこうつぶやいた。

「彦根先生は、否定的な言い方を絶対にしない。無理難題もいったん預かる。そうして次の打ち合わせでは、それを上手に因数分解して、要望の優先順位が整理されていく。」

できないことをできないと言うのは簡単である。できない理由を説明するだけだ。しかし、クライアントは「できないこと」をあえて要望しているのではない。何か望んでいるものがあり、それを満たすアイデアがたまたま建築的に「できない」だけである。であればその「要望」の本質を理解することが私たちの仕事である。伊藤のこの話は私の心を大きく揺さぶった。

伊藤が他のクライアントにも彦根氏を紹介するようになると、たちまち数件の建築が走ることになった。この頃から私と伊藤にはある希望が芽生え、半ば確信になっていった。つまり、私たちオルケアが探し続けてきた建築士・設計士・デザイナーのことだ。彦根氏にこそ、その役割を担ってほしいと考えるようになっていった。

彦根氏との仕事が増え、八ヶ岳で過ごす時間も随分と長くなった頃、私は彦根氏にこう尋ねた。『彦根さん、私ももうすぐリタイアしますが、工務店のお施主さんに対する最大の責任は会社が永続することです。オルケアの次世代にとって彦根さんの助力を頂くことは願ってもないことですが、やがて彦根さんも年齢の壁が迫ってきます。幸い彦根さんには沢山の力のあるお弟子さんがいらっしゃいます。次の次の世代を考えると、彦根さんのDNAを八ヶ岳で残すお考えはありませんか?つまり、自然環境の豊かな地で木造建築をしたいと希望するお弟子さんを、建築家はそこまではあまりやらない、現場での施工管理や建築コストの実態把握を徹底して学べる教育の場にしていきませんか?』彦根氏は深くうなずき、こう答えてくれた。

『そうですね、まずは私が八ヶ岳に住む計画を立てましょう』

思えばこの20年間、私たちは誰に宛てるでもない手紙を出し続けてきた。私たちと理念を共有し、八ヶ岳で最高の建築を作るパートナーに向けて。幾星霜を経て、その手紙はようやく届くべき相手に届いたのだ。それはまるで星辰の交点のように、この日この時に、この八ヶ岳で交わることが決まっていたかのように、私は感じた。

彦根氏の全面的な協力のもと、八ヶ岳で最高の家を作るためのプロジェクトが、こうして本格的にはじまった。八ヶ岳に暮らしたいと願う全てのクライアントに対して、最高に美しいデザインと、最高の性能を持つ住宅を提供する。他には真似のできないこの新しい挑戦に、私たちは「人の還る自然」というテーマで臨むことにした。