1-1出会い
ある年の夏、八ヶ岳にあるオルケアという建築事務所から設計の相談がひとつ届いた。クライアントは八ヶ岳高原の分譲地で土地の購入を予定しており、私の設計を希望しているという。分譲地の標高は1,400mから1,800m、これまでの八ヶ岳での仕事の中でも比較的標高の高い場所だ。高地の特性を踏まえた設計が必要になるため、季節を分けて何度か現地を見てみたいと考えていた。10月の初旬、クライアントがその分譲地を見学するというので、私も見学に同行し、八ヶ岳で打ち合わせをする運びとなった。
数年ぶりに訪れた初秋の八ヶ岳は紅葉にはまだ早く、日中の気温もそれほど寒く感じなかった。しかし目当ての分譲地・八ヶ岳高原に近づくにつれ、気温は下がり、周囲の景色も一変していく。別荘地の入り口まで着くと、薄手のダウンが必要になるくらいだった。クライアントが購入を検討している区画のエリアは、ここからまだ100mほど上がったところにあるという。
以前、-25℃近くまで冷え込む場所で設計もしたが、ここも冬は相当冷え込むだろう。仲介してくれたオルケアの伊藤氏に話しかけると、「充分な断熱性能が必要ですね。」と返ってきた。オルケアは八ヶ岳で地域密着を貫く建築事務所で、住宅性能に関しては絶対の自信を持っている。クライアントは兼ねてから知人を通じて建築の相談を重ねていたそうだ。真冬は氷点下20℃を下回るこのエリアを選んだのは、それでも「充分に暖かい家にできる」というオルケアのアドバイスがあったからだと、クライアントは語った。
八ヶ岳高原は50年以上前から開発が始まった分譲地で、近年になってまた新たなエリアが整備されている。クライアントが購入を検討していた土地の周辺は、まだ原生の森の鬱蒼とした空気があった。
クライアントと一緒に周囲を歩きながら、伊藤氏が土地の良し悪しを品評する。どの区画にも一長一短があるが、建築の計画に対してひとつずつ点数を重ねていくと、結果的に「この区画が一番良い」という正解に行き着くのだという。私も伊藤氏の話に同意した。そして視点は多いほどよい。建築そのものの具体的な形から、クライアントご自身の生活の仕方まで。ひいては、このエリア全体にとっての、建物の見え方・あり方も重要である。そんな話を皆で交わしながら、この場所でこれから理想の暮らしを築こうとしているクライアントの心情と、これから始まる建築のプロセスについて考える。クライアントと共に全力で理想の住まいを実現する建築家としての仕事は、いつだって真剣勝負であり、わたし自身にとっても常に素晴らしい経験である。
1-2最高に美しい住宅
私は自著「最高に美しい建築を作る方法」でこう書いている。
「普遍的な美しさは、ものごとのバランスによって構成される」
建築に限らず、誰もが普遍的に感じる「美しさ」を観察すると、その背景ではあらゆる「ものごと」(物質的な「モノ」だけではなく、かたちにならない「できごと」も含めた「ものごと」)の比率や強弱の割合が適度な状態に保たれている。建築で言えば、その家を取り巻く内外のあらゆる「ものごと」のバランスが良好であることが、「最高の美しさ」を生むことになる。
建築の内外にある「ものごと」は無数に存在する。家の外を考えると「周囲の状況」「街並みや景観」「地域の自然」と広がっていく。家の中では「住む人・使う人」に始まり、そこに置かれる「家具・道具・衣服」からその「見た目・手触り・肌触り」、そしてその「使い方・楽しみ方」にまでつながっていく。更にはその物事の関係性にも配慮が必要である。
こうしたあらゆる「ものごと」のバランスを、実際には「家を建てる環境」という制約の中で整えていくプロセスそのものが、「建築のデザイン」であり「家を建てる」という行為である。そしてその「環境の制約」の中で建築家と住む人がともに「最高」と感じられるバランスを実現することが、「最高に美しい住宅をつくる」ことであると考えている。逆に言えば「制約」があるからこそ「最高」という基準が生まれる。制約がまったくないところでは、バランスの取りようがないのである。
高地特有の澄んだ空気、土地の起伏や、空の色、風の匂い。季節ごとに全く違った表情とその変化を見せてくれるであろう豊かな自然。その中に整然と、広々と整備されたこの分譲地は、一見真っ白なキャンバスのように見えるが、そうではない。この環境ならではの様々な「制約」と「条件」があるのである。
1-3八ヶ岳からの手紙
八ヶ岳の環境が、「都市部に比べて制約が少ない」ということとは違う。土地が広いからといって、単純に設計の自由度が高いわけではない。気温・気候、この標高に特有の制約も数多くある。また、その中で「美しさ」を求めてあらゆるバランスを取っていくことに、本質的な違いはない。私がこれまで重ねてきた「最高に美しい住宅をつくる」ためのプロセスは、この八ヶ岳においても同じである。
大事なことは、どこであっても、どんな条件でも「最高に美しい住宅を創る」という点にある。
八ヶ岳のような「環境」に対しても、様々な工夫が必要になる。例えば室内への陽の光のあたり方、風の取り込み方と通し方、土地の傾斜の使い方など。クライアントともに、この豊かな自然の恵みとの間で最も適したバランスをとっていく。
建築の美しさとは、実用性を兼ねていることが前提で、建築性能についても妥協はできない。その点、この土地で多くの建築を手掛けてきたオルケアの知見も頼もしい。八ヶ岳で工夫を重ねてきたからこその、アイデアや工夫、そして熱意があるはずだ。
「今度は、最も冷え込んだ時期に、来てみましょう」と伊藤氏に話しかけると、
「そうですね、クライアントと一緒に、真冬の寒さも確認しましょう」と返してくれた。
「断熱性能も、最高のものにしたいですね」
「はい、わたしたちオルケアの経験がお役に立てられれば」
クライアントにとって「最高に美しく・最高の性能を持つ」住宅を創る。八ヶ岳での建築はいったいどんなものになるだろう。
この日の出来事は、私に何か「建築という仕事の面白さ」を改めて気づかせてくれたような気がした。クライアントの熱意だったのか、伊藤氏との会話だったのかは分からない。ただ私にとって適切なタイミングで起きた出来事だったからこそ、記憶に残ったものだと思う。それがたまたま八ヶ岳であっただけのことかもしれないが、この日にあれこれ胸に浮かんだ建築に対する思いを、私は個人的に「八ヶ岳からの手紙」と表現している。